稲川雅之 ギターコンサートを聴いて

ファナ大阪のインストア・ライブ、といってもマンションの一室、カーペット張りの環境。20名も椅子に座れば満席で、昔よりその雰囲気から「ファナさんで緊張しなければどこでも通用する」といわれていたほど。関西のギタリストなら一度は経験したお馴染みのライブである。

今回は奈良で活躍し友人でもある稲川雅之氏のライブを聴くことが出来た。(2017年6月2日18:30)
氏の演奏は4年ほど前からデュオのパートナーとして聴き続けているが、聴衆としてじっくり聴くのは久しぶりでもあり、後半に私のレパートリーでもある大曲を弾くということで興味深く開演を待った。

演奏プログラムは次の通り。

1.無伴奏チェロ組曲1番全曲(バッハ)
2.盗賊の歌・聖母の御子(リョベート)
3.アルハンブラの思い出、ヴェニスの謝肉祭による変奏曲(タレガ)

1.二つのベネズエラ・ワルツ(ラウロ)
2.スペインのフォリアによる変奏曲とフーガ(ポンセ)

演奏は総じて満足のいくもので、左手の堅実強固な技術に支えられ、どんな難曲でも安心して聴くことが出来る。
丸く整った粒立ちで発せられる美音も氏の強力な武器のひとつに違いない。
しかしそれらは、これまで聴いてきた経験によって織り込み済みであり、今後さらに彼がどう進化成長していくか、その芽のようなものをいくつか感じたので、批判ではなく建設的な批評としてここ書き記してみた。

前半冒頭は氏が得意とし愛してやまないバッハの曲。バロック様式のなかで比較的オーソドックスな解釈で進められていく。この端正さが氏の目指すところのようで、師のセルシェルを思わせる彼のバッハ演奏にファンが多いのもうなづける。
ただ、なぜこの曲をギターであえて弾くのか?この問いが後味として残ってしまう。
編曲(佐々木編)自体に問題があり、ギターを旋律楽器として模倣させたいのか、和声楽器としてオリジナリティを持たすのかハッキリしない。そのことで生じている音楽的不安定さが気になり集中できない。演奏のほうもそこが整理されていないように思えたのが残念である。

なお、プログラムには「チェロ組曲」と簡略表記しかなかったので、慣れない聴衆が曲間で拍手をしてしまわないか、こちらも気になった。曲紹介の時にせめて舞曲の名前だけでも知らせたほうが良いだろう。

続く小品群では、バッハのプレッシャーから解放され、休憩タイムともいえる構成である。いすれも技術的に難易度も高くない楽曲なので、氏のテクニックをもってすれば余裕でよどみなく演奏されていく。
欲を言えば、そういった曲なのでプロとしてはさらに上の次元に持っていってほしい、もっと創造的な表現をほどこさないと、「休憩タイム」と見抜かれてはいけない。記憶に残す演奏が常に望まれるのがこの世界である。

前半最後はタレガの長編で締めくくられたのだが、実は今後の課題、成長へのヒントがこの曲に如実に表れている。
それはこういった冗長な音楽をどう退屈させずに聴かせるか、ということ。
彼の中では、冒頭のバッハと同じ感覚で構成していて、その端正さが近現代(古典においても)作品においては逆にストレスになってしまうのである。
それは音色を変えるとか、嫌らしく歌うとかそんな上辺だけの話ではなく、音楽の構成。演出にもっと想像力を働かせてほしい。
後述するポンセの大作も然り。タレガの曲よりは音楽性が高いためそれに助けられている部分があるが、なにか常にすりガラス越しに物を見せられているようなストレスを覚えるのである。

一方、後半に弾いたラウロは白眉であった。久々にギターの美しい音色を聴いた。氏の美音は言うなれば「美しく整った彫像のような顔立ち」なのだ。美しいのだがいつでも正面を向いていて同じ表情なのである。
ところがこの曲ではじめて「生き生きとした」美音が出てきたのである。そしてそれに反応するように演奏そのものも奏者が楽しみ始めているのがよくわかる。
これが「伝わる音楽・演奏」なのだ。この瞬間表出している感覚をバッハやバロックにも生かせれば、彼の演奏は本物に近づいていくのではないか。
もしかすると、氏の本分はこういった近現代物で発揮されるのではと思わずにいられない。

最後はポンセの大作。聴衆はおそらくギター初心者のかたが多かったと思うが、彼らにこの曲を長く感じさせないことは至難の業である。各変奏のキャラクターを明確にし、緻密にテンポや変奏間の間を計算する必要がある。
ここで気になったのが、氏のダイナミックレンジである。
私にはメゾピアノからフォルテまでの幅に感じてしまう。前述したように「すりガラス」越しに聞こえるのだ。

感情を表に出さず淡々と弾いていくのが稲川雅之のスタイルでもあるのだが、音楽にはもっとパワフルに感情を表出させてほしい。もし、そのスタイルを意識することで何かリミッターをかけてしまっているのなら、あまりにももったいなのである。

若い人たちの演奏を聴いていると、我々とは技術レベルの高さ、勉強できる環境、すべてに恵まれているのに「もったいない演奏」が多すぎる。氏にはそこを乗り越えてほしいし、まだまだ期待できるギタリストであると信じたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Caution!! :Posts that do not include Japanese will be ignored. (forAnti-Spam)