季節を問わずよく怪談を聴いている。
寝る前に、または練習中に。
もともと怪談、怪異譚が好きというのもあるが、
それら物語(実話かどうかなんて関係ない)を
語りだけで表現し、いかに聴く者の心を揺さぶるか。
この点においてジャンルは違えども表現者として学ぶところがあるのだ、
と無理やりこじつけてはいる。

思うに、人を笑わせることより怖がらせることのほうが難易度が高い。
聴く者の「想像力」や「人生体験」に委ねる部分が多いからだ。
そして話し手と聴き手の間に「暗黙の了解」が存在する。
たとえば
「薄暗い廊下の奥」というワード。
闇に対する本能的な不安、逃げ場のない行き止まり感や
空気の澱む空間が想起されるのだが、
この情景をイメージとして共有できなければそもそも怪談として成り立たない。
怪談で人を怖がらせるためには
そこを共有させるための話術が必要であり、リアリズムによる背景描写が欠かせないのだ。
霊の知識などどうでもよい。
霊を怖いものとして見せるためのテクニックこそが求められている。

残念ながら、いま巷(ネット界)にあふれている「怪談師」と呼ばれる
アマチュアたちには辟易している。
「女の幽霊をみました。あとで聞くとそこで殺人事件があったそうで。。。」
・・・・へぇ、そうですか。大変でしたね。
という話。
これをどう描写し、どう表現して、人に恐怖を与えるか。
そこが大切なのだが。

もしくは比較的ステレオタイプな「薄暗い廊下の奥」というワードに
頼りすぎている。
いつか
「やさしく薄明りのさす通路の窓側」で起こる怪談に恐怖してみたい。
そんな期待を込めて、未だ見ぬ真の怪談テラーを探しているのである。

まぁ、さすがにこれらの話を今のギター界に当てはめるのは、
やめておきましょう。

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