他人様のコンサート評

John Williams plays the Movies

ランダムに抜き出したのがこのアルバム。ちょうど軽く昼寝をしたかったこともあってタイトルにつられて聴いてみた。
まず、ソロじゃないんですね。。。オケアレンジに乗せてメロディーを弾いている、まぁカフェのBGM用に企画されたのかな、と思う内容。
一気に眠くなって夢うつつの状態。
これは別にジョンの演奏でなくてもいいし、高価なギター使わなくても、と思ったら、ふと昔、ジョンがフュージョンバンド「SKY」を発表した時も、ギター以外の仲間が同じようなことを言ってたなぁと思い出しました。
「ギター、ジョンじゃないほうがいいんじゃない?」
私「いや、彼がやりたいって作ったバンドだから・・(苦笑)」。

聴いていて、これならSkyバージョンでもそれはそれで楽しめるかな。
と、クレジット見たらアレンジにSteve Grayの名前が。スカイのキーボード担当(笑)。
どおりでSky4あたりの曲を思い出したわけだ。

BGMとして可もなく不可もなく、「シェルブールの雨傘」と「シンドラーのリスト」「バグダッドカフェ」は普通に映画音楽アレンジとして心地よかったです。

1回目と言うことで評価5点!(何点満点かは決めてません)

稲川雅之 ギターコンサートを聴いて

ファナ大阪のインストア・ライブ、といってもマンションの一室、カーペット張りの環境。20名も椅子に座れば満席で、昔よりその雰囲気から「ファナさんで緊張しなければどこでも通用する」といわれていたほど。関西のギタリストなら一度は経験したお馴染みのライブである。

今回は奈良で活躍し友人でもある稲川雅之氏のライブを聴くことが出来た。(2017年6月2日18:30)
氏の演奏は4年ほど前からデュオのパートナーとして聴き続けているが、聴衆としてじっくり聴くのは久しぶりでもあり、後半に私のレパートリーでもある大曲を弾くということで興味深く開演を待った。

演奏プログラムは次の通り。

1.無伴奏チェロ組曲1番全曲(バッハ)
2.盗賊の歌・聖母の御子(リョベート)
3.アルハンブラの思い出、ヴェニスの謝肉祭による変奏曲(タレガ)

1.二つのベネズエラ・ワルツ(ラウロ)
2.スペインのフォリアによる変奏曲とフーガ(ポンセ)

演奏は総じて満足のいくもので、左手の堅実強固な技術に支えられ、どんな難曲でも安心して聴くことが出来る。
丸く整った粒立ちで発せられる美音も氏の強力な武器のひとつに違いない。
しかしそれらは、これまで聴いてきた経験によって織り込み済みであり、今後さらに彼がどう進化成長していくか、その芽のようなものをいくつか感じたので、批判ではなく建設的な批評としてここ書き記してみた。

前半冒頭は氏が得意とし愛してやまないバッハの曲。バロック様式のなかで比較的オーソドックスな解釈で進められていく。この端正さが氏の目指すところのようで、師のセルシェルを思わせる彼のバッハ演奏にファンが多いのもうなづける。
ただ、なぜこの曲をギターであえて弾くのか?この問いが後味として残ってしまう。
編曲(佐々木編)自体に問題があり、ギターを旋律楽器として模倣させたいのか、和声楽器としてオリジナリティを持たすのかハッキリしない。そのことで生じている音楽的不安定さが気になり集中できない。演奏のほうもそこが整理されていないように思えたのが残念である。

なお、プログラムには「チェロ組曲」と簡略表記しかなかったので、慣れない聴衆が曲間で拍手をしてしまわないか、こちらも気になった。曲紹介の時にせめて舞曲の名前だけでも知らせたほうが良いだろう。

続く小品群では、バッハのプレッシャーから解放され、休憩タイムともいえる構成である。いすれも技術的に難易度も高くない楽曲なので、氏のテクニックをもってすれば余裕でよどみなく演奏されていく。
欲を言えば、そういった曲なのでプロとしてはさらに上の次元に持っていってほしい、もっと創造的な表現をほどこさないと、「休憩タイム」と見抜かれてはいけない。記憶に残す演奏が常に望まれるのがこの世界である。

前半最後はタレガの長編で締めくくられたのだが、実は今後の課題、成長へのヒントがこの曲に如実に表れている。
それはこういった冗長な音楽をどう退屈させずに聴かせるか、ということ。
彼の中では、冒頭のバッハと同じ感覚で構成していて、その端正さが近現代(古典においても)作品においては逆にストレスになってしまうのである。
それは音色を変えるとか、嫌らしく歌うとかそんな上辺だけの話ではなく、音楽の構成。演出にもっと想像力を働かせてほしい。
後述するポンセの大作も然り。タレガの曲よりは音楽性が高いためそれに助けられている部分があるが、なにか常にすりガラス越しに物を見せられているようなストレスを覚えるのである。

一方、後半に弾いたラウロは白眉であった。久々にギターの美しい音色を聴いた。氏の美音は言うなれば「美しく整った彫像のような顔立ち」なのだ。美しいのだがいつでも正面を向いていて同じ表情なのである。
ところがこの曲ではじめて「生き生きとした」美音が出てきたのである。そしてそれに反応するように演奏そのものも奏者が楽しみ始めているのがよくわかる。
これが「伝わる音楽・演奏」なのだ。この瞬間表出している感覚をバッハやバロックにも生かせれば、彼の演奏は本物に近づいていくのではないか。
もしかすると、氏の本分はこういった近現代物で発揮されるのではと思わずにいられない。

最後はポンセの大作。聴衆はおそらくギター初心者のかたが多かったと思うが、彼らにこの曲を長く感じさせないことは至難の業である。各変奏のキャラクターを明確にし、緻密にテンポや変奏間の間を計算する必要がある。
ここで気になったのが、氏のダイナミックレンジである。
私にはメゾピアノからフォルテまでの幅に感じてしまう。前述したように「すりガラス」越しに聞こえるのだ。

感情を表に出さず淡々と弾いていくのが稲川雅之のスタイルでもあるのだが、音楽にはもっとパワフルに感情を表出させてほしい。もし、そのスタイルを意識することで何かリミッターをかけてしまっているのなら、あまりにももったいなのである。

若い人たちの演奏を聴いていると、我々とは技術レベルの高さ、勉強できる環境、すべてに恵まれているのに「もったいない演奏」が多すぎる。氏にはそこを乗り越えてほしいし、まだまだ期待できるギタリストであると信じたい。

イグナシオ・ロデス ギターリサイタルを聴いて

4月19日、和歌浦アートキューブ・キューブAでスペインのギタリスト、Ignacio Rodes さんの演奏を聴きました。

未就学児の娘の世話のため前半のみの鑑賞でしたが、そこで感じたことを素直に書いてみます。

まず会場のアートキューブ。ギャラリー展示や作品会、音楽などいわゆる多目的な活動スペース(キューブ)を提供している場所ですが、今回は収容人数の多いキューブAで行われました。
僕自身、アートキューブは何度か演奏会で使わせてもらっているのですが、音の響きからAは避け別のキューブを使っていました。
この場所ではたしてちゃんとギターの魅力が伝わるのか、一抹の不安はありました。

予想どおり本番ではダイレクトではありませんが遠くからマイク2本を立てPAで軽く音量アップさせていました。
ただ演奏者用モニターが無いので、おそらく聴くものより弾いている側が辛くなる(自分の音が聞こえない)環境だったと思われます。和歌山にも良いホールがあればいいのですが、ここはない物ねだりしても仕方ないので。

さて会場には120人ほどでしょうか、多くの人が会場に詰め掛けていました。企画運営の方の努力があってこそ、僕の知り合いも何人か手伝いに行っていましたのでホッとされたことと思います。

会場が響かないことが分かっていたので最前列に座って開演を待ちます。

舞台に現れたロデスさんは、さすがの舞台マナー。こういうところを日本の人は見習ってほしいなぁ。髪の毛が多くていいなぁ。。
ただちょっと会場の照明に落ち着かない様子。

1曲目、ドビゼーの組曲からスタート。(すべてのプログラム詳細は最後に書きます)

この中のいくつかの曲は映画「禁じられた遊び」でも使われていますので、マニアック+エンタという良い選曲だったかもしれません。聴いてた人が気づいてるかはしりませんが(笑)

最初の一音で、非常にクリアで強靭なタッチの持ち主だと感じました。甘さより、「分離した透明な音」。結果論ですがこれはぜひちゃんとしたホールで聴きたかった。
舞台では、おそらく、たぶんおそらくですよ。最初の一音でこの会場が「やりにくい」と感じたと思います。指に緊張が現れたように見えましたし、
それを振り払うように目を閉じ集中し始めましたから。
リハーサルでわかってるつもりでも、実際にお客さんが入ると全然違う響きになる。良いホールはその落差が少ないのですが、ここではロデスさんほどのキャリアでも、いやそのキャリアだからこそかなり違和感を持ったと思います。

バロックギターの奏法であえて表現を試みていました。右指の軽快なさばきが気持ちよくドビゼーの作品に反映されていました。
使用楽器はロマニロスということで、音の粒立ちがすばらしい。ただこの会場ではダイナミックレンジが伝わってこない。
おそらく、おそらくですよ(笑)、舞台上では普段より大きな音で弾かざるを得ないのかなと。それによってレンジが狭められてしまったのが残念。
少し指にもどこかトラブルを抱えてらっしゃるように(右親指か中指)見えました。
しかしこの曲はもっと落ち着いた雰囲気で弾いてほしかったし、聴きたかったですね。もったいない。

2曲目、バッハの無伴奏ソナタ3番からフーガ。

この難曲をどう響かせてくれるか、今回のコンサートで一番の注目曲。この曲をちゃんとギターでできる人って少ないですから期待値は高かったのですが、最初の曲でわかった環境でどう表現すべきか、これまたロデスさんも大変だっただろうなぁ。
表現のツールから「弱音」禁止の縛りを受けてるわけですから。
そもそも個人的には、こんな複雑な二重フーガをギターで弾くことが無謀、相当な分離表現がないとできない、そんな曲なんです。
それを縛られた状態で。。。心中お察し申し上げます。。

そんな勝手な心配を他所に、ロデスさんは結構速めのテンポでテーマを弾き始めました。テクニックは申し分なくこの複雑なフーガを構築してきます。
しかし声部が立体的に広がってこない。これが会場の音響の影響なのか。音色変化による遊び、や歌心、こういったものが随所にちりばめられているにも関わらず、響きがモノラルのスピーカーからまとまって出てきてる印象。
第2テーマが出るころには「曲の長さ」を感じてしまいました。残念。

それにしても、さすが一流のプロ。暴走・破綻を食い止めるブレーキシステムをちゃんと音楽の中に作っています。それをやると音楽の流れに歪みが生じるのですが、最小限な仕組みで作動させていました。だから聴いてる人はまず何もわからないでしょうね。

ロデスさんはおそらく、繊細でクリアな表現を理想とされる音楽家だと思います。今回の会場でこの曲を選曲したのはやはり無理があったのかもしれません。聴いている人も「見事に弾き切った」という音楽以外の物理的表層的感想で終わったのでは。もったいない。

前半最後はバウティスタという20世紀初頭のスペイン作曲家の曲。

まったく初めて聴く曲で、やはりこういう曲を持ってきてくれるところが嬉しいですね。スペイン大好きギター関係者が多い日本で、こういった曲が演奏されなかったということはそれなりの理由があるのでしょう。
そういう日本の事情を無視してやってくれるところが海外の人を日本で聴く楽しみの一つでもあります。

そしてバッハを弾き終わった後でもあり、ようやく会場の雰囲気にも「諦めがついた」時間帯、ギターがロデスさんと一体になってきたようです。

今回、前後半どちらを聴くか考えたとき、これまで書いた会場コンディションがもたらす影響が予想されたので、妻には乗り始めるであろう後半を譲りました。他のお客さんも「後半のほうが良かった」と感想を言われていたので、みなさんも満足されたのではと思います。

このリサイタルを聴いて感じたのは、今後もし僕が有望なギタリストを招待するとき、和歌山での会場選びに苦労するだろうなぁ、ということでした。

当日プログラム

ロベール・ドヴィゼー:組曲ニ短調
バッハ:フーガハ長調BWV1005
フリアン・バウティスタ:前奏曲と踊り

ファリャ:ドビュッシー賛歌
クインティン・エスカンブレ:ワルツとサパテアード
サルバドール・バカリッセ:前奏曲・間奏曲・パスピエ
トリーナ:タレガ賛歌。セビリア幻想曲

アンコール:バリオスのガボット